代表・宮澤時浩のはなし

story

 今から約30年前、私は東京で塗装の仕事をしておりました。東京は高層ビルが多く立ち並んでいて空気が非常に悪く、排気ガスが充満している環境でした。光化学スモック発令時には、晴れている日でも車の窓を閉めていたくらいです。

 当時私は結婚をすでにしており休みが取れた時には子供を連れて岐阜県の妻の実家に帰省していました。東京生まれ東京育ちの私は岐阜県の空気の美味しさに毎度感動したのを今でも覚えています。

 数年後、私は塗装業を営む父の跡を継ぎました。しかし、父と反りが合わず、父の事業から独立しようと決心しました。親元から離れ自分の力で「1」から仕事をしようと思い約400km離れた妻の故郷に移り住むことにしました。
 最初はあまり土地勘もなく仕事に対して不安を抱くこともありましたが、妻をはじめ周りの方々の支えがあり今このように岐阜県土岐市で塗装の浩屋として仕事をさせていただいてます。